蘇我倉山田石川麻呂がここで自害
蘇我倉山田石川麻呂は蘇我氏一族であったが、入鹿とは敵対し大化改新では娘婿の中大兄皇子に加担した。
その石川麻呂が641年に造営を始めたのが山田寺である。
649年謀反の疑いをかけられた石川麻呂はこの寺で自害。
無実を知った中大兄皇子は深く悔いたと『日本書紀』は記している。
「山田寺仏頭」は山田寺の本尊として685年に開眼供養された。
その後焼失した東金堂を復興させる際に、興福寺の僧兵が奪っていったと伝えられる。
飛鳥資料館に展示されている山田寺仏頭
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