持統天皇の病気平癒の為に建てたられた寺
680(天武9)に天武天皇が鵜野讃良皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願して造営が始められ、
18年後に完成した。寺は当時の都・藤原宮に造られたが、平安遷都に伴って現在の地に移された。
裳階を施した金堂や塔のたたずまいの美しさは「龍宮造り」と呼ばれて賞された。
しかしその後、幾度かの火災で次々に焼失し、創建当時の姿をとどめるのは東塔のみとなった。
鎌倉時代や江戸時代に幾度かの再建が行われたが、
中でも昭和51、創建当初の様式のままに金堂が、昭和56には西塔が再建。
実に453年ぶりに東西の両塔が新旧の対比を見せながら西の京の空にそびえることになった。
新しく再建された建物は朱と緑の彩りも絢爛として、天平の昔が偲ばれる。
西塔の方が東塔より2.4メートル高く、屋根の勾配はよりなだらかである。


10月8日〜11月10日までの宝蔵殿の公開期間中で、
吉祥天画像を見ることができました。
縦53センチ、横32センチの麻布に彩色で描かれた天平の典型的豊頬美人のモデルは持統天皇とも光明皇后とも伝えられています。


東塔−平安遷都ののち730(天平2)に造営さたと伝えられる創建当初唯一の遺構。
高さ33.6メートルの三重塔だが、各層裳付きなので、一見、六重に見える。
拝観はできないが内部は組入天井で、格間と裳層の間に宝相花門(ほうそうげもん)の彩色が。


西塔−1528(享禄1)の兵火のあと、礎石だけが残っていたが、昭和56年、東塔とほぼ同形に再建された。
朱と緑、水煙の金色が美しく、東塔より屋根の傾斜が少ない。


花会式−はなえしき−
3月30日〜4月5日までの薬師寺花会式は、本来、東大寺のお水取りと同じ修二会の行事。梅・桜・桃・山吹・椿・アヤメ・藤・牡丹・菊・百合の10種類の造花を薬師三尊の前に飾り、東塔をバックに、献茶や能・舞踊の奉納行事が続く。堀河天皇の時、皇后の病気回復を喜んで10種類の花の造花を宮中の采女たちに作らせて献花したことが始まり。
圧巻は5日夜の鬼追式。赤・黒・黄の鬼がたいまつを持って暴れ回る。
西の京の春はこの祭から。
薬師如来像−薬師如来を中心に、右に日光菩薩、
左に月光菩薩、あわせて薬師三尊と呼ばれます。
仏教彫刻の最高傑作です。


薬師寺
●近鉄西ノ京下車すぐ/8時30分〜17時/無休/500円
東塔
730年に造営されたと伝えられる創建当初唯一の遺構。
高さ33.6メートル。アメリカの美術研究家フェノロサが「凍れる音楽」と絶讃した。
頂上には24体の飛天が透かし彫りにされている。

西塔
1528年の兵火のあと、礎石だけが残ったが、昭和56年、東塔とほぼ同形に再建された。

金堂
昭和51年復元された。
薬師三尊像(国宝)を安置。わが国仏教美術の最高傑作といわれる白鳳時代の金銅仏。
 ・日光菩薩
 ・薬師如来
 ・月光菩薩

東院堂
吉備内親王が母・元明天皇のために721年創建。
現在の建物は鎌倉時代1285年に再建された。
聖観音立像(国宝)、四天王像(国宝)、文殊菩薩坐像(国宝)
などを安置。
聖観音立像(国宝)は高さ1.9メートル19歳で刑死した有間皇子をモデルにしたという説もある青年像。

大宝蔵殿

4/29〜5/5
10/8〜11/10
のあいだ春・秋年2回公開

大講堂は2002年完成予定に向けて建設中です

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