鑑真が建てた寺
唐の高僧鑑真が、天武天皇の皇子・新田部親王の旧邸地を賜って795(天平宝字3)に開いたのが起こり。
鑑真は聖武天皇の招聘に応えて来朝したわけであるが、5回に及ぶ航海にもかかわらず初志を貫き、
12年目にしてやっと東大寺にだどり着いた時には両眼を失明していた。
奈良の大寺のほとんどが天皇の勅願による官寺であるのに対し、
この寺は和上と修行を積む僧の私院だったのを特徴とする。最盛時には3000の学僧を数えたという。
南大門を入ると両脇に松の木立を従えて、おおらかな屋根の勾配が美しい金堂が凛然として建つ。
天平の甍≠ニいう形容がいかにもぴったり。


薬師寺のすぐそばにありました。唐招提寺。この入口の外観、中学の修学旅行で来た覚えがあります。10年ぶりです。


入口の門をくぐるとすぐ金堂がみえる。鑑真没後、弟子の如宝が建立したと伝える。
本尊・盧舎那仏坐像をはじめ、薬師如来、千手観音、四天王など、
いずれも国宝の仏たちが並んでいる。右の写真は薬師如来像。


うちわまき−うちわまき− 観月賛仏会−かんげつさんぶつえ−
5月19日の賑やかな魔除け祭り。
鎌倉時代、覚盛上人が殺生戒を守り蚊さえも殺さなかった徳を偲び、のち、法華寺の尼僧が霊前にうちわを供えたのが始まり。午後4時に鼓楼から色とりどりの3000本のハート型のうちわが舞うと、群衆が先を競い合って拾いあう。梵語が書かれたうちわは魔除けとして、飾られる。
中秋の名月の夜、金堂の扉が開かれ、月の出を待って堂内に灯りがともされる。
月明かりの中に盧舎那仏、薬師如来、千手観音が浮かびあがる。


5月19日におこなわれる行事「うちわまき」が行われる鼓楼から
講堂をのぞむ。
経蔵−日本最古の校倉造り(国宝)。
唐招提寺が建立される以前からあったもので、
高い床を張り、三角形の材木を組んだ校倉造り。

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