聖武天皇の奈良の大仏
741(天平13)、聖武天皇が諸国に国分寺の建造の詔勅を発し、2年後に総国分寺と本尊である盧舎那仏造立の詔勅を発した。大仏の鋳造には3年をかけ、開眼供養は752(天平勝宝4)。
その後、約40年をかけて寺観が整えられた。
1180(治承10)には平重衡の手により、また1567(永禄10)には松永久秀の軍勢によって2度にわたる焼き打ちにあい、現在の伽藍の多くは江戸時代に再建されたもの。
仏像は奈良・平安・鎌倉時代を通じて数多くの名品が残る。
境内には、大仏殿をはじめとする国宝・重文の建物が立ち並ぶ。


南大門
重層入母屋造りの門で、高さは25メートル。
現在のものは鎌倉時代(1199)に再建されたもので、大仏様式の代表作とされている。
門の両脇には、鎌倉時代の名仏師運慶と快慶が18人の弟子とともに72日かけて彫り上げた木像金剛力士像が立つ。
近年大修理がされてよみがえり、平成5年秋に落慶法要が行われたばかり。
右写真は、南大門の屋根組をズームで撮影しました。かなり古くなっています。


東大寺の鹿
途中で鹿に遭遇しました。目を閉じて眠っています。
そーっと近付いて撮影成功。
中門
この奥に大仏殿があります


大仏の鋳造
まず粘土で大仏の像を作り、
粘土像の表面に薄紙を貼り付ける。
その上からまた粘土を塗りつけ、それを薄紙とともに、はがし、
粘土像との隙間をつくるようにあてがう。
粘土同士の隙間に溶かした銅を下から8層に分けて、
流し込んで、鋳造されたと言われている。
表面は水銀と金を溶かしたものを塗られたとされている。
金堂(大仏殿)
東大寺の本尊である盧舎那仏を安置し、
大仏殿の名で親しまれている堂宇。
現在の建物は江戸時代(1709)に再建されたもの。
天平の創建当時のものに比べると東西が
約3分の2に縮小されてはいるが、
それでも木造建築としては世界最大の規模を誇る。
「奈良の大仏」と呼び親しまれている盧舎那仏坐像(国宝)は752(天平勝宝4)の開眼。天災や戦火にたびたび見舞われ、
幾度も補修されている。
現在の像は56葉の蓮華座に座り、高さ約15メートル、
顔の長さ約5メートル、中指だけをとってみても1.3メートルも
あり重さは380トンと推定される。


二月堂
3月に行われる修二会(お水取り)で知られる。
修二会の創始者である実忠和尚によって天平年間に創建され、現在の堂宇は江戸初期のもの。
お堂は斜面に建てられた懸崖造りで、奈良市街を一望にする。

東大寺修二会−とうだいじしゅにえ−
3月1日〜3月14日。「お水取り」の名前で知られる法要。
本尊十一面観音の功徳をたたえ、人間の罪と汚れを懺悔する火と水の行事。1200年の歴史がある。
毎夕、二月堂へ向かう僧の足元を照らす大松明が美しい。

三月堂 拝観料400円
不空羂索観音立像(ふくうけんさくかんのんりつぞう)
天平時代の作。威厳に満ちた表情と見事な宝冠に目を奪われる。
独特の舟形光背に放射状の線が走る。手には魚や鳥を捕らえる道
具、羂索を持つ。

日光・月光菩薩立像(にっこう・がっこうぼさつりつぞう)
高さ約2メートル。均整のとれた姿、おだやかに澄み切った表情に気
品があふれる。

梵天・帝釈天立像(ぼんてん・たいしゃくてんりつぞう)
天平時代の乾漆像。目立たないが、両脇侍として風格がある。

四天王立像(してんのうりつぞう)
天平時代の乾漆像。高さ3メートル。邪鬼に精緻な技巧が。

金剛力士立像(こんごうりきしりつぞう)
須弥壇(しゅみだん)に向かって左が阿形(あぎょう)、左が吽形(う
んぎょう)。天平時代の乾漆像で、高さ2.9メートル。

執金剛神立像(しゅこんごうしんりつぞう)
厨子の中に安置されている天平時代の秘仏。金剛杵(こんごうしょ)
を持った右手を振り上げ、左手を張って構え、赤い口をカッと開いた
怒濤の顔。毎年12/6のみ開扉。

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