壬申の乱で勝利した天皇夫婦が揃って眠る墓
中央集権国家体制を樹立した天武天皇と、その妻・持統天皇を合葬した陵墓。
堂々とした八角墳で、近くには草壁皇子の墓と見られる束明神古墳や文武陵などもある。
明治時代に「阿不幾乃山陵記」が発見されたことにより、被葬者が推定された。
それによると、大理石製の石室の中に、天武天皇の遺体は朱漆の柩の中に、
持統天皇の火葬骨は銀の箱に入れた上で金銅の容器に納められていたという。


今回の旅行でいちばん訪ねたかった場所がここです。
宮内庁指定の数ある天皇陵の中で、被葬者が確実なのは、ここ天武・持統天皇陵だけだと言われているそうです。
先に亡くなった天武天皇の棺と、火葬された持統天皇の骨壺が並んで安置されているとのことです。
是非、見てみたいものです。


この繁った木々の奥にふたりは眠っています。
天武天皇には謎が多く、実は百済の渡来人だったとか、兄とされている天智天皇とは兄弟ではないとか、
いろいろと説が生まれています。その正体は本当は何だったのでしょうか?
そして壬申の乱が起きた本当の理由は?!
この天武天皇、母である皇極・斉明天皇。私が今いちばん感心のある人物です。

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