藤原氏の氏寺
669年、藤原鎌足夫人である鏡女王が京都山科寺の私邸に建てた「山階寺」が寺の起こり。
その後、飛鳥に移って「厩坂寺」と称し、710年に平城京遷都とともに藤原不比等によって
現在の地に移され「興福寺」を名乗った。
以後、藤原氏の氏寺として一族の隆盛とともに寺勢を拡大、
聖武天皇と光明皇后によって東金堂や五重塔が建立され、
奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられた。
1180年の平家の焼き打ちを始めとして、度重なる兵火や火災でほとんどの堂宇を焼失する。
現在の建物は鎌倉時代のものを一部残し、猿沢池に影を落とす美しい五重塔を核に堂宇が点在する。
また、仏教彫刻類は、天平時代の名品を数多く保存している。 


東金堂
拝観料300円 9時〜17時 無休
聖武天皇の創建と伝えられる。
寄棟造りの美しい建物は室町時代の再建だが、天平時代の建築様式を伝えている。
昭和12の解体修理で本尊台座下から飛鳥山田寺の仏頭(国宝)が出てきた。
堂内には、本尊薬師如来像、日光・月光菩薩像などが安置されている。
これらは鎌倉時代に衆徒が山田寺から奪ったものである。

国宝本尊薬師三尊(重文)・四天王立像・十二神将立像など



五重塔
東大寺大仏殿とともに、奈良のシンボルとして親しまれている高塔。高さ50.1メートルは、京都東寺五重塔に次いで日本で2番目に高い。
730(天平2)に光明皇后によって創建され、現在の塔は室町時代・1426(応永33)に再建されたもの。薬師・釈迦・阿弥陀・弥勒の三尊像が安置されているが非公開。
猿沢池
周囲には柳が植えられ、水面には五重塔が影を落とす。
池畔の采女神社は、帝の寵愛が薄れたことを嘆き、猿沢池に身を投げた采女を祀る。
中秋名月には采女が行われる。


南円堂
北円堂と同形の八角円堂。平安時代、藤原冬嗣の創建と伝えられるが、現存するのは江戸時代に再建されたもの。本尊は不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)。西国三十三ヵ所第9番札所としても知られる。北隣に、一言だけの祈願を受け入れるという伝承を持つ一言観音堂がある。非公開。10月17日の9時〜16時のみ公開。(拝観料300円)


北円堂
元明・元正天皇の創建と伝えられる。現在の建物は1210(承元4)に再建されたもので、寺内最古の建造物。
運慶作の本尊弥勒如来像(国宝)など鎌倉彫刻を代表する仏像が安置されているが、非公開。
北円堂のすぐそばにあった看板です。
興福寺は一日の最後に行ったので、もう夕方でしたが、参拝客
がまだたくさんいました。


国宝館
拝観料500円 9時〜17時 無休

旧山田寺仏頭(きゅうやまだでらぶっとう)
白鳳彫刻の最高傑作の一つ。東金堂本尊として、飛鳥の山田寺から僧兵が奪ってきたものといわれる。
3メートルもの金銅の巨像がのちに兵火で身体を失い、頭部だけが残った。

華原馨(かげんけい)
仏教の儀式に使う楽器の一種。うずくまる獅子の上に4匹の竜が絡み合う馨架(けいか)は、唐からの伝来とも天平期の作とも伝わる。

天燈鬼・竜燈鬼(てんとうき・りゅうとうき)
燈籠を左手でかついでいるのが天燈鬼(てんとうき)、体に竜が巻き付いているのが竜燈鬼(りゅうとうき)。
いずれも運慶の子、康弁(こうべん)が1215年(建保3)に制作したもので、玉眼入りの寄木造である。

その他
阿修羅像・八分衆立像・十大弟子立像・板彫十二神将立像・法相六祖立像(ほっそうろくそざぞう)・千手観音立像・四天王立像・金剛力士立像・梵鐘など。


薪能−たきぎのう− 采女祭−うねめまつり−
5月11日、5月12日。
興福寺南大門跡で舞台を設けて行う野外能。
能楽界最高の行事で、観世・金春・室生・金剛の四座により演じられる。
午前中に春日大社舞殿で儀式があり、午後4時頃から野外能が始まる。薪が点火される午後5時頃からが最高潮。
9月・中秋名月。
帝の寵愛が薄れたことを嘆き、猿沢池に身を投げた采女の霊を慰める祭り。
昼は秋の七草で飾った花扇をひいた稚子や十二単姿の花扇使たちが市内を練り歩く。
夜7時からは龍頭船が猿沢池に漕ぎだし、
池を回った後、花扇を水面に流す。

TOPへ戻る