斉明天皇の住まいだった
斉明天皇が、板葺宮の焼失後に移り住んだ宮である。
川原寺は、発掘調査に基づくと、息子の天智天皇により斉明没後の川原宮の跡に建てられ、
その後天武天皇により増築・拡充されたと考えられる。
飛鳥川の左手に広がる原っぱに、橘寺と向かい合うようにある。
贅を尽くした寺であったことを物語るメノウの礎石と門前の塔跡が現存。繁栄を極めていたことがうかがえる。
『日本書紀』には673年(天武2)、ここに写経生を集めて
一切経(仏教経典の集大成)の写経を行ったとする記述があり、
この時点でかなり大きな収容能力を備えていたことがわかる。


川原寺の前の通りでは、お祭りなのか子供たちがおみこしをかついで賑わいでいました


飛鳥資料館に展示されている100分の1の川原寺の模型

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