聖徳太子ゆかりの寺
607(推古15)に推古天皇と聖徳太子が創建した、まさしく斑鳩の象徴といえる寺。
法隆寺の別名・斑鳩寺の名前が『日本書紀』の606(推古14)の条に記されているところから、
推古朝に創建されたものだというのが通説。
また同じく『日本書紀』に670(天智9)法隆寺全焼の記載があることから、
現在の建物は7世紀末の再建と考えられている。
13万uの寺域内には、世界最古の木造建築が立ち並び、
国宝の建築物だけで、金堂、五重塔、大講堂、中門、回廊、鐘楼、経蔵、南大門、東大門、夢殿、伝法堂など
19棟にも及ぶ。他にも多数の重要文化財の指定を受ける建物があり、総数は50余棟を数える。
貴重な遺構や宝蔵殿、収蔵庫には飛鳥時代の釈迦三尊をはじめ、
救世観音、百済観音、夢殿観音、玉虫厨子など優れた仏教美術品を所蔵。
国宝だけで115点、重要文化財は1958点にのぼる。
太子の没後、643(皇極2)蘇我入鹿によって焼かれ、
のち739(天平11)、行信僧都によって夢殿が建立され、上宮王院と呼ばれた。
なお、1993ユネスコの第17回世界遺産委員会で、世界遺産条約に基づく文化遺産として登録された。


さすが有名な観光地だけあって、修学旅行生がたくさんいました。一般の参拝客もいっぱいです。
左写真もここの前で記念撮影をする人が多く、私も撮影するのに順番待ちをしました。


講堂の薬師如来 大宝蔵殿−百済観音像・夢違観音像・九面観音像・橘夫人念
持仏・玉虫厨子などの国宝が安置されている。


夢殿−739(天平11)に行信僧都によって建てられた八角円堂。
かつての斑鳩宮の聖徳太子の居室跡だと伝えられる。太子が法華経などの注釈書を作る時、難解なところが出てくる度に夢に貴人が現れて教示したとの伝説から夢殿と呼ばれるようになったという。
堂内には秘仏の救世観音像(国宝)が安置されている。
1884(明治17)まで秘仏であったために保存が大変よく、唇の朱なども残っている。
この像もアルカイックスマイルを浮かべ数々の謎に満ちている。


夢殿と同じ敷地内にある舎利殿 よーく見てみると、瓦に法隆寺の文字が

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