あおによし奈良の都−74年間続いた都の跡
710(和銅3)、藤原京から遷都され、7代74年間続いた平城京の宮。
都は唐の長安にならって碁盤目状に造られ、
中枢となる大内裏には12の殿舎が立ち並び、回廊がそれらを結んでいた。
周囲には高く厚い築地塀と堀が巡らされていたという。
しかし「あおによし奈良の都」と歌われた平城京も、桓武天皇の長岡京遷都、
そして平安京に都が定まるとともに衰え、田園となる。
1959(昭和34)から奈良国立文化財研究所による本格的な調査が進められ、当時の様子がわかってきた。
平城京遷都1300年の2010年に向けて、平城宮を復元する工事が行われている。


今回は時間がなく、平城宮跡の中までは行けませんでした。
資料館の前から平城宮跡を撮影しました。
資料館には、遺跡から出土した石銭、瓦、呪い人形、木簡などを展示。
建築模型や長屋王の食事の再現なども展示しています。

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